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最高裁判所第二小法廷 平成6年(オ)858号 判決 1997年5月30日

北海道江別市弥生町三五番地三

上告人

有限会社健広社

右代表者取締役

稲垣卓三

右訴訟代理人弁護士

香高茂

岩手県一関市赤荻字雲南一九二番地

被上告人

株式会社精茶百年本舗

右代表者代表取締役

清水恒輝

右訴訟代理人弁護士

上村正二

石葉泰久

石川秀樹

田中愼一郎

右当事者間の仙台高等裁判所平成五年(ネ)第一三九号商標権侵害差止請求事件について、同裁判所が平成六年一月一八日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人香高茂の上告理由について

所論の点に関する原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係の下においては、本件商標(一)と上告人標章が類似するとした原審の判断は正当として是認することができる。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではなく、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博)

(平成六年(オ)第八五八号 上告人 有限会社健広社)

上告代理人香高茂の上告理由

一 商標の類似性判断基準について

1 最高裁判所は平成四年九月二二日判決において、「大森林」の楷書体の漢字から成る登録商標と「木林森」の行書体の漢字から成る商標は、全体的に観察し対比してみて、少なくとも外観、観念において紛らわしい関係にあり、類似する関係にあるものと認める余地がある。」としているが、その理由として、次のように述べている。

「二1商標の類否は、同一又は類似の商品に使用された商標がその外観、観念、称呼等によって取引者に与える印象、記憶、連想等を総合して全体的に考察すべきであり、しかもその商品の取引の実情を明らかにしうる限り、その具体的な取引状況に基づいて判断すべきであって、綿密に観察する限りでは外観、観念、称呼において個別的には類似しない商標であっても、具体的な取引状況いかんによっては類似する場合があり、したがって、外観、観念、称呼についての総合的な類似性の有無も、具体的な取引状況によって異なってくる場合もあることに思いを致すべきである。

2本件についてこれをみるに、本件商標と被上告人商標とは、使用されている文字が「森」と「林」の二つにおいて一致しており、一致していない「大」と「木」の文字は、筆運びによっては紛らわしくなるものであること、

被上告人商標は意味を持たない造語にすぎないこと、

そして両者は、いずれも構成する文字からして増毛効果を連想させる樹木を想起させるものであることからすると、

全体的に観察して対比してみて、両者は少なくとも外観、観念において紛らわしい関係にあることが明らかであり、取引の状況によっては、需要者が両者を見誤る可能性は否定できず、ひいては両者が類似する関係にあるものと認める余地もあるものといわなければならない。」

2 これに対して昭和四三年二月二七日判決では、左記のように二点に分けて出願商標と引用登録商標とは非類似と判断している。

<1>商標の類否は、対比される商標が同一又は類似の商品に使用された場合に、商品の出所につき誤認混同を生ずるおそれがあるか否かによって決すべきであるが、それには、そのような商品に使用された商標がその外観、観念、称呼等によって取引者に与える印象、記憶、連想等を総合して全体的に考察すべく、しかもその商品の取引の実情を明らかにしうる限り、その具体的な取引状況に基づいて判断するのを相当とする。

<2>商標の外観、観念または称呼の類似は、その商標を使用した商品につき出所の誤認混同のおそれを推測させる一応の基準にすぎず、従って、右三点のうちその一において類似するものでも、他の二点において著しく相違することその他取引の実情等によって、なんら商品の出所に誤認混同をきたすおそれの認めがたいものについては、これを類似商標と解すべきではない。

本件について見るに、出願商標は氷山の図形のほか「硝子繊維」、「氷山印」、「日東紡績」の文字を含むものであるのに対し、引用登録商標は単に「しょうざん」の文字のみからなる商標であるから、両者が外観を異にすることは明白であり、また、後者から氷山を意味するような観念を生ずる余地のないことも疑いな(い)、

そこで原判決は上記のような商標の構成から生ずる称呼が、前者は「ひょうざんじるし」ないし「ひょうざん」、後者億「しょうざんじるし」ないし「しょうざん」であつて、両者の称呼がよし比較的近似するものであるにしても、その外観および観念の差異を考慮すべく、単に両者の抽出された語音を対比して称呼の類否を決定して足れりとすべきでない旨を説示したものと認められる。そして、原判決は、両商標の称呼は近似するとはいえ、なお称呼上の差異は容易に認識しえられるのであるから、「ひ」と「し」の発音が明確に区別されにくい傾向のある一部地域のあることその他諸般の事情を考慮しても、硝子繊維糸の特殊な取引の実情のもとにおいては、外観および観念が著しく相違するうえ称呼においても右の程度に区別できる両商標をとりちがえて商品の出所の誤認混同を生ずるおそれは考えられず、両者は非類似と解したものと理解することができる。」

3 ところで、前記<1>および<2>の判示はいずれも前記四三年判決の要旨の一部である。<1>の判示は平成四年の判決の前提となっているが、平成四年判決は<2>の判示についても肯定することを前提にしているものと考えられる。問題はむしろ<2>の判示が重要であって、そこでは、前記のように「商標の外観、観念または称呼の類似は、その商標を使用した商品につき出所の誤認混同のおそれを推測させる一応の基準にすぎ」ないとして、「出所の誤認混同のおそれ」そのものが主要事実であり、「商標の外観、観念または称呼の類似」はこれに対する間接事実として位置づけられている。したがって、主要事実の認定のためには、これらの「間接事実」だけではなく、「取引者に与える印象、記憶、連想等を総合して全体的に考察」しなければならないとか、「具体的な取引状況」を考慮しなければならないという<1>判示に結び付く。

反面、一つの「間接事実」つまり「基準」が類似していても、他の「間接事実」により、「出所の誤認混同のおそれ」そのものが認められない場合には、<2>のように類似商標とはならない。

したがって、「商標の外観、観念または称呼の類似」だけで類似商標か否かを判断する方法を最高裁判所は既に昭和四三年の判決において否定していると言える。

本件においても、このような類似性判断基準によれば、本件商標(一)と上告人標章とは類似性が否定されることは明らかであるが、原判決はこの点の判断を誤り、上告人の控訴を棄却したので、その判断には審理不尽理由不備の違法がある。

二 本件商標と上告人標章との相違について

1<1>称呼については本件商標が「ヒャクネンチャ」であるのに対して、上告人標章は「ジンセイヒャクネンチャ」である。「ヒャクネンチャ」の部分は確かに同一であるが、同じように同一の称呼の部分を含む商標相互間においても非類似とされているものは多数存在する。たとえば、「アルバイトパートタイマー情報」と「アルバイトニュース」(大阪地裁昭和四八年四月二五日判決)、「MOONPEARL」ないし「ムーンパール」と「PEARL」ないし「パール」(東京高裁昭和五四年一月三〇日判決)、「日本印相学会」と「株式会社宗家日本印相協会」(東京高裁昭和五六年三月三〇日判決)、「高麗」と「高麗人参酒」(大阪高裁昭和五九年一〇月三〇日判決)、「ハイシミンHISHIMIN」と「ハイシーHICEE」(東京高裁昭和五七年一月二八日判決)、「どさん子大将」と「どさん子」(東京高裁昭和五七年三月三一日判決)、「ミラクルコーケン」と「ミラクル」(東京高裁昭和五九年三月二九日判決)、「ホワイト・ホース」と「ゴールデン・ホース」(東京高裁昭和五九年一一月二九日判決)、「かに道楽」と「かに将軍」(大阪地方昭和六二年五月二七日判決)があげられる。

<2>しかも、たとえ一部重なる部分が存在しても、「ヒャクネンチャ」の前に「ジンセイ」が付加されて、「ジンセイヒャクネンチャ」が一連の語として称呼されることになる。これと「ヒャクネンチャ」とは、一般人の常識的判断では容易に区別がつくものであって、特に「ヒャクネンチャ」の部分だけを取り上げて、ことさらに「ジンセイ」を無視して両者を類似すると考える者は通常あり得ない。

しかも、上告人においては自己の商品を「ヒャクネンチャ」と称しているのではなく、「ジンセイヒャクネンチャ」と一連一体のものとして称しており、取引先においても「ジンセイヒャクネンチャ」と称しているのであるから、この称呼から誤認混同のおそれが生ずる余地はない。

2<1>外観については、本件商標の甲四号証ないし甲九号証と上告人商標の乙一号証ないし乙九号証を比較すれば外観が著しく相違することは明らかである。原判決は、「本件商標(一)の「百年茶」の部分と上告人標章とを隔離的観察によって観察した場合、それらが商品の識別標識として著しく相違するとまでは言えない」としているが、隔離的観察だけをなぜ強調するのか非常に不自然である。全体的観察によって類似性の有無を判断することは、最高裁の判例においても繰り返し判示されているところであり、全体的観察をあえて無視して隔離前観察だけを強調する点は、判例違反である。

<2>特に乙一七号証を見れば、上告人の商品と被上告人の商品が同一場所に並べておかれた場合に通常の人間が誤認混同する恐れのないことは明らかである。また、時と所を異にして、同一の人間が被上告人商品と上告人商品を認識した場合でも、両者は外観が極端に異なり、被上告人の「百年茶」を購入する者が、上告人の「人生百年茶」を手にした場合に、これは違う商品であると容易に認識できるはずである。

<3>被上告人商品つまり本件商標は、百年ないし百年茶の部分が特に大きく強調されているが、その字体は整ったものであり、一種の上品さをもっているが、上告人商品つまり上告人標章では「人生百年茶」となっており、しかもその字体はやや崩れたような字体で著しく特徴的な書体となっている。

たとえ、被上告人商標を正確に記憶していなくとも、一目でこのような商標ではないと容易に認識できるはずである。

<4>しかも、本件商標では「平泉藤原文化の遺産」という文章が必ず付けられており、本件商標を特徴づけている。これは[百年茶」ないし「精茶百年」が真実はともかく、「平泉藤原文化の遺産」であって、長い伝統に支えられた良質の茶であることを意識的に印象づける機能を果している。本件商標では、例えば上告人標章に見られるような「三世代のファミリー健康茶」「ゴールド」「イチョウ葉パワー」といった外来語を用いた表示は、適さないのである。「平泉藤原文化の遺産」という長い伝統を印象づけているのに、このような外来語を加えればかえって表示の不調和を招きかねない。そのため、被上告人商品では、もっぱら純日本風の表示を取り、伝統とおちつきを意識的に強調しているのである。

これに反して、上告人商品では、伝統とは無縁で、むしろ若々しさや躍動感に溢れている。上告人標章の書体自体が本件商標の字体と比較して、かなり自由奔放であり、まとまりということをあまり意識していないかのごとく見える。

<5>しかも本件商標が「百年茶」ないし「精茶百年」いずれについても一行で記載されているのに、上告人商標は二行である。

<6>さらに、「三世代のファミリー健康茶」「ゴールド」「イチョウ葉パワー」といった外来語をふんだんに用いており、商品の特徴を認識させるため、取引者に執拗に迫っている。しかも、これだけでは足りず「壽老人人」や「えびす様」なる漫面を表示し、上告人商標、外来語、漫画の三者一体で強力に商品をアピールしている。上告人商品は伝統、おちつきとはまったく無縁で、むしろ華美、派手、新奇といった要素が濃厚である。被上告人商品にたとえば漫画を表示すれば、それがどのようなものであれ、被上告人商品のイメージを大きく減殺することは間違いない。被上告人商品は外来語や漫画とは無縁で、むしろそれを排除する傾向がある。

このように傾向が著しく異なるのに、単に称呼が一部重なるというだけで誤認混同を起こすことはあり得ない。むしろ、伝統とおちつきを強調する被上告人商品を見慣れた取引者からみれば、上告人商品にはこれらが欠落しているので、一目で別個の会社の別個の商品であることが認識できるはずである。

3<1>観念については、本件商標の「百年茶」が「永い伝統に支えられた茶」ないし「古くから飲み継がれた良質の格調高い茶」という観念を生ずるのに対し、上告人標章では「これを飲めば人生を百年までも生きられる茶」という観念を生ずる。

被上告人が主張するような観念の同一はあり得ない。

特に本件商標において「平泉藤原文化の遺産」という文言を付けているのは、前記の「永い伝統に支えられた茶」ないし「古くから飲み継がれた良質の格調高い茶」という観念を強調するのに役立っている。「平泉藤原文化」は平安末期に奥州に展開したものであり、それから千年近くもの間、受け継がれ品質を向上させてきたという観念を取引者に強調している。健康増進に役立つというのは、仮に被上告人商品の特徴ではあっても、本件商標からその点を読み取ることはできない。むしろ高品質茶、伝統格式を備えた茶という観念こそがピッタリとあてはまる。

<2>この点、原判決は「商標類否の判断については、当該指定商品の一般需要者により、右商品が購入される場合において普通に払われる注意力を基準として、決せられるべきものであるが、右観点からすれば、本件商標(一)と上告人標章はいずれも健康の維持及び増進、長寿という観念を生じさせるものというべきである」としているが、「百年茶」という「本件商標からなぜ「健康の維持及び増進、長寿という観念」が生じるのか、極めて不自然な認定である。「百年茶」という商標からは、「永い伝統に支えられた茶」ないし「古くから飲み継がれた良質の格調高い茶」という観念が生じることはあっても、「健康の維持及び増進、長寿という観念」は生じ得ない。百年は、長い年月という意味を表すだけで、人生とか人との結び付きを持たないため、人の健康や長寿という観念が発生しようがないのである。

<3>これに対して、上告人標章では、人生百年という長寿の目標そのものをズバリとあからさまに取引者に提示している。百歳以上の老人も現在はかなりいるようになったが、百歳まで長生きすることはすべての者の願いである。長寿の目標たる人生百年をそのものズバリで提示したのが上告人商標である。したがって、上告人商標からは、「これを飲めば人生を百歳までも生きられるだろう」、「長寿を達成できるだろう」という観念が素直に読み取れる。そして、壽老人やえびす様という漫画はさらにこの観念を強調するのに役立っている。

4 以上のように本件商標と上告人標章とは称呼、外観、観念いずれの点においても異なっていることは明らかである。これを類似しているとした原判決は判断は、理由齟齬、理由不備、経験則違反の違法があり、この違法が原判決の結論に重大な影響を与えたことは明らかである。

5 取引状況について

<1>最高裁判例においても、類似性判断においては可能な限り両者の商品の取引状況を考慮すべきものとしているが、被上告人商品と上告人商品とは、競合して販売されたのは、札幌市の西武五番館デパート健康食品売場のみである。そこでは誤認混同を生ずる恐れがまったくないことは、その売場に商品仕入を行っている業者の営業所長および担当者の供述(乙五三号証)により明らかである。原判決は「控訴人商品と被控訴人商品は、その品質、用途、需要者層においてほぼ同一であり、控訴人商品と本件各商標の指定商品に同一または類似の商標を付した場合、商品の出所について誤認混同のおそれがあることは明らかである」としているが、そのおそれというのは極めて観念的抽象的である。誤認混同のおそれがあるという以上は、そのおそれは実体的具体的なものでなければならない。観念的抽象的なおそれというのであれば、どのようなものであっても、誤認混同のおそれが認められてしまう、最高裁判例においては、むしろ実体的具体的な誤認混同のおそれの有無の判断こそが要求されていたはずである。

<2>しかも、具体的取引状況においても、被上告人商品がデパート、スーパー、文房具店というような店頭販売が主流と考えられるのに対し、上告人は乙七三号証5、乙七七号証、乙七八号証、控訴人本人尋問の結果に明らかなように店頭販売をあまり行わず、各製品ごとに上告人会社で販売ルートを定めて流通させている。デパート、スーパー、文房具店というような店頭販売はほとんどない。

しかも、上告人商品は、「四〇台からの健康茶人生百年茶」「三世代のファミリー健康茶人生百年茶」「ゴールド人生百年茶」「イチョウ葉パワー人生百年茶」「ハーブ入りイチョウ葉パワー人生百年茶」いずれについても、それぞれ特徴があり、需要者をたとえば喫煙者に求めるなどの他の一般的な健康茶とは著しく異なる特色を有する。

たとえば、<1>四〇代からの健康茶「人生百年茶」は非喫煙者を守る会の会員や職場、ノースモーキング運動に協力してくれる団体や個人、被告会社で行っている禁煙運動の参加者への販売などである。

<2>三世代のファミリー健康茶「人生百年茶」は札幌市内の茶のメーカー株式会社お茶の土倉の系列で販売しており、異業種の販売会社を通じて販売している。

<3>ゴールド「人生百年茶」は特にイチョウ葉を原料に用いていることからイチョウ葉フラボン研究会を上告人で組織化してこの研究会を通して流通している。西武五番館デパート健康食品売場で競合したのはこの製品である。

<4>イチョウ葉パウー「人生百年茶」は上告人の販社、代理店を通して、観光ホテルでのおみやげ品に流通したり、病院の医師や看護婦への販売が行われている。

さらに、上告人の行っている「ノースモーキングセンター」を通しての販売ルートもある。このように上告人の販売は、各商品の特色と購入者のルートに応じて分けられており、デパートで一括して売却するような方法はとっていない。したがって、被上告人商品とは競合する機会がまれであるし、機会があっても前記のとおり誤認混同の実体的具体的なおそれはまったくない。

したがって、原判決が、被上告人商品と上告人商品との構成する原材料から、両者いずれもが「健康の維持増進を目的とする茶」と把握して、観念的抽象的は誤認混同のおそれを判示したのは理由不備の違法がある。

三 原判決の引用する第一審判決における理由不備理由齟齬について

1<1>原判決が引用する第一審判決では、本件商標(一)が<1>「平泉藤原文化の遺産」、<2>「百年茶」、<3>「高麗人参茶配合」、<4>「精茶百年本舗謹製」の四者の文字部分で構成されているところ、<2>の部分が他に比較して大きな書体で中央部に記載されており、この部分が購入者等の注意を特に引く部分であり、これが存在することによって本件商標(一)の識別機能が認められるから「百年茶」の部分が本件商標(一)の要部であるところ、上告人標章が常に「人生」という語句が付加されて使用されているとしても、その要部は「百年茶」の部分であり、本件商標(一)と上告人標章とは称呼上同一であるから、上告人標章は本件商標(一)に類似するとしている。

しかし、第一審判決の判断は以下の点において事実誤認ないし法律解釈を誤っており、原判決もそのまま引用したため、ともに違法である。

<2>要部の認定方法について

第一審判決は、単に本件商標(一)の外観上から、「百年茶」の部分が要部であるとしている。

たしかに「百年茶」の部分が中央部に大きな書体で記載され購入者の注意を特に引くことは有り得る。

しかし、同時に「百年茶」の右側には<1>「平泉藤原文化の遺産」が、左側には<3>「高麗人参茶配合」が、そして下部には<4>「精茶百年本舗謹製」がそれぞれ記載されており、これらが一体となって本件商標(一)の自他識別機能を構成している。単に「百年茶」の部分のみで自他識別機能を発揮している訳ではない。

特に<1>「平泉藤原文化の遺産」の文字部分は本件商標(一)の由来を示す重要な機能をもっている。「平泉藤原文化の遺産」としての「百年茶」ということを示しており、一〇〇〇年あまり前に栄えた平泉藤原文化の伝統に支えられた由緒正しい伝統ある茶というイメージを購入者に与えている。

したがって、「百年茶」の部分のみを要部とするのは誤りで、少なくとも<1>「平泉藤原文化の遺産」が要部をなしていると考えるべきである。

<3>また、上告人標章において「百年茶」の部分を要部とする認定は誤っている。上告人標章は「人生百年茶」という僅か五文字から構成されており、これを「人生」と「百年茶」の二者に分けて「百年茶」の部分を要部とする必然性はまったく存在しない。要部という時には、商標を構成している複数の文字部分に要部となる部分と要部とならない部分とが存在し、そのうちで「要部」となる部分を特に限定することになるが、それは本件商標(一)のように四者もの文字部分から構成されている場合には有り得るかもしれないが、上告人標章のように僅か五文字から構成されている商標においては限定すること自体、不自然である。

原判決も「「人生百年」という用語自体は一般に使用されている独自の意味をもつ用語であることは否定できない。」と認定している。

したがって、第一審判決が上告人標章において「百年茶」の部分を要部とした判断は事実認定を誤った違法がある。

<4>第一審判決は、上告人標章において「百年茶」を要部とする理由として、「百年」という文字が「ーつの区切りないしは単位となる長い年月というものを観念させ、これを見聞する者に対して相当程度強い印象を与えるから「人生」よりも強い識別力を有する」と判示している。

しかし、右の判断からすれば要都というのは「百年茶」ではなく「百年」となるはずである。

ところが、第一審判決は要部は「百年茶」であって「百年」ではないとし、本件商標(二)「精茶百年」においては「百年」は要部ではないとしている。

反対に、本件商標(二)「精茶百年」においては「百年」は要部ではないとするならば、本件商標(一)においても「百年」は要部ではないし、上告人標章においても「百年」は要部ではないことととなる。「百年」が要部でない以上、「百年茶」が要部となるのは不自然である。「茶」という文字は普通名詞に過ぎず、それが付け加わったからと言って、もともと要部でなかったものが、「茶」という普通名詞が付加されることによって要部に転化するはずがない。

<5>さらに、「百年」の識別力が他の部分よりも強いならば、自他識別機能が高いので、それを要部としてよいはずである。本件商標(二)「精茶百年」においても「百年」こそが要部となるはずである。

しかし、第一審判決は正当にも本件商標(二)においては「百年」は要部ではないと判示した。

これは、「精茶百年」においては、僅か四文字であり、しかも一連のものとして称呼され観念されることから「精茶」と「百年」とに分離することが不自然であることを前提としているものである。そのため、第一審判決一2(二)においては「精茶百年」のいずれが要部であるか明らかにしていない。

すると、本件商標(一)においては、単に中央部に大きく記載されているというただそれだけの理由で「百年茶」を要部とし、本件商標(二)では各文字がいずれも同じ大きさで一連一体のものとして記載されているため「百年」は要部ではなく、要部を特定できないという判示となったしかし、このような判断はあまりにもその場しのぎではないだろうか。

原判決は、本件商標(二)において、「百年」を要部とすることができない理由として、「精茶百年」という文字標章は「これを飲用することで長寿を保てる」という観念を発生させると被上告人は主張するところ、「百年」という文字が「一つの区切りないしは単位となる長い年月というものを観念させる」が、「長寿を保てる」と言う観念は生じないから要部ではないとするようである。

それならば、上告人標章においても「百年茶」の部分だけでは「これを飲めば長寿を保てる」という観念は生まれず、「人生百年茶」となってはじめて「これを飲めば長寿を保てる」という観念を生むこととなる。すると上告人標章においては、やはり「百年茶」の部分は要部ではないこととなる。第一審判決が一2(二)において示した判断方法を上告人標章に用いれば、当然このように判断になるはずである。

しかるに、第一審判決は上告人標章にはこの判断を取らずに、ことさらに「人生」と「百年茶」を分離し、「百年茶」の部分のみを要部としたものである。

原判決は上告人のこの点の指摘に対して、何ら答えていない。しかし、第一審判決を引用する以上、このような論理矛盾について十分な説明がなされるべきなのに、何ら判断していないのは理由不備の違法がある。

<6>このように、第一審判決の判断方法は、本件商標(一)、本件商標(二)、上告人標章との間で不統一でいき当たりばったりの観さえある。このような結果となったのは、何ら法律上根拠がないのに、被上告人の主張にしたがって「要部」という概念を持ち込んで、これに頼って判断したことにある。

一体、原判決も第一審判決も「要部」という概念をどのようなものとして使用したのか不明である。「要部」の定義や判定方法を明確にすることなしに、曖昧なイメージだけで判断したという誤りがある。

しかも「要部」という概念が、学説上あるいは判例上、一義的な定義をもつ概念でもない。このような概念を安易に使用した点で、原判決は理由不備理由齟齬の違法がある。

四 上告人標章の把握について

原判決は、第一審判決を引用して上告人標章を標章目録(一)(二)(三)(四)のものとしてとらえているが、これは明らかに誤りである。上告人標章は、乙七四号証の商標公報商標出願公告平三-二二一一二に記載しているとおり「人生百年茶」である。

しかも、標章目録(一)(二)は、上告人標章として使用されていることはまったくない。百年茶の文字をゴシック体の活字で印刷すれば、標章目録(一)(二)のようになるだけであり、これを上告人標章と認定しているのは明らかに誤りである。

五 指定商品について

1 本件商標(一)の指定商品は高麗人参入り茶とされているのに対し、上告人標章の付された上告人商品の指定商品は茶である。本件商標(一)では単なる茶ではなく、高麗人参入りという点が大きな特徴となっている。そして、原判決も指摘するとおり本件商標(一)の構成要素でもある。したがっで、本件商標(一)においては、指定商品が「高麗人参入り茶」であってはじめて価値を有し、単なる茶では価値がない。つまり「高麗人参入り茶」は重要な自他商品識別機能を有する。しだがって、これを上告人商品の茶と同一視することはできない。購入者としては、本件商標(一)の商品が「高麗人参入り茶」であるから購入するのであって、茶の一種だから購入する訳ではないはずである。そうでなければ、わざわざ「高麗人参入り茶」を指定商品とする意味がない。しかも、本件商標(二)においては指定商品が「茶」とされているところからみても、本件商標(一)を同(二)から区別する意味でも指定商品を特に「高麗人参入り茶」にしたものと考えられる。

したがって、本件商標(一)と上告人標章とは指定商品が異なる。

2 原判決は、両者がいずれも「健康の維持増進を目的とする茶」と判断しているが、これは指定商品を区別したり、上告人商品のそれぞれの特徴を無視した乱暴な判断である。両者が「健康の維持増進を目的とする茶」という類型にまとめられてしまうのであれば、上告人商品や被上告人商品の区別はなくなってしまう。各商品がそれぞれ独自の特徴をもち、上告人標章や本件商標がそれぞれその商品を他と区別する特徴を備えているからこそ、一般需要者も特徴をみて商品を選択するのである。

このような判断を回避して「健康の維持増進を目的とする茶」だから「誤認混同のおそれがある」とする判断は、きわめて理由不備理由齟齬の違法がある。

六 平成四年最高裁判決との関連性について

平成四年判決の事例と対比すれば、本件では次のように言える。

1 「大森林」と「木林森」とでは二字が一致し、「大」と「木」は筆運びでは紛らわしくなるが、「百年茶」ないし「精茶百年」と「人生百年茶」とでは、同じ文字が使用されているとは言え、本件商標では「人生」という日常頻繁に使用される熟語が欠落しているのに、上告人標章ではこれが大きな要素となっているので、記載方法を変えても両者を見認る恐れは認められないこととなる。

2 「木林森」は意味をもたない造語であって、なぜあえてこのような造語を使用しなければならないのか、理解に苦しむところがあるが、「人生百年茶」の場合は「人生百年」自体が熟語として使用されており、長寿を意味するものとして容易にその意味を認識することができる。平成四年判決においては、特に「木林森」が意味をもたない造語である点が大きく影響を及ぼしたと考えられる。

ところが、上告人標章では「人生百年」というそれ自体が熟語であるものと「茶」とが結合したものであって、「これを飲めば人生を百歳までも生きられるだろう」、「長寿を達成できるだろう」という観念を容易に生じさせる。

3 さらに両商標の観念においても、「大森林」と「木林森」はともに増毛効果を連想させる樹木を想起させるのに対し、「百年茶」ないし「精茶百年」が「永い伝統に支えられた茶」ないし「古くから飲み継がれた良質の格調高い茶」という観念であり、「人生百年茶」が「これを飲めば人生を百歳までも生きられるだろう」、「長寿を達成できるだろう」という観念であり、観念においても明確に差異がある。

4 そして外観については、前記のように本件商標と上告人標章には著しい差異があり、外観の相違は明白である。

七 結論

以上のように、原判決には<1>商標の類否とその観察判断方法を誤り、<2>各商品取引状況の実情を無視し、その結果経験則に違反し、<3>これらの点について内容を十分に審理せずに判断したことについて審理不尽を免れないので、民事訴訟法第三九四条の規定、すなわちその判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があるので、速やかに取り消され、さらに相当な裁判を求める。

以上

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